著者: | 種田 和加子 [著] |
ISBN: | 978-4-901988-21-6 |
判型: | A5判上製 |
刊行: | 2012年3月 |
定価: | 2,800円+税 |
再評価されてきている明治の文豪=泉鏡花。歴史的想像力・文化史的視点を加えてその作品をとりあげ、「魔」の批評的作用と怪異性との重層的構造を浮かび上がらせる作品論。
種田 和加子
本書のサブタイトル、「到来する『魔』」の「魔」とは「きわどさ」を意味する。「魔」とはきわどい時間、空間を作り出し、人を翻弄する。東日本大震災で津波の脅威を見せつけられてから、人間の営みを瞬時にして切断する「魔」の作用をまさに到来するものとしてうけとめざるを得なくなった。本書が災害の記憶を共有する、とは「あとがき」でも述べたが、鏡花がどのような「魔」の様相を描き続けたか、本書で検証していることはそれに尽きるといってよい。
第一部では、明治二十年代の後半から三十年代初頭にかけて発表された子供の世界を取り出した。「逢ふ魔が時」に隠れん坊をする子供はどんな目にあうのか、狂気に陥った子供は大人に何をもたらすのかなどを考察し、「怖れる」「怯える」という感性の歴史を辿った。(そもそも我々はいつから、怯える、という原初的な感性をネガティブなものとして遠ざけるようになったのだろうか。)
第二部では明治三十年代から大正中期の作品を個別に論じて、たとえば、『高野聖』の世界観が有しているものが、同時代の大本教の「お筆先」のディストピア的な言説に通じていることを明らかにしつつ、『妖剣紀聞』では、『大菩薩峠』の明らかな摂取の痕跡を見出し、初期作品からあった、大衆文学的な要素に注目した。鏡花という作家がはてしなく間テクスト的であると同時に世界を異化する視線を獲得しているさまを『三尺角』における深川の描き方や『陽炎座』の演劇性にも見出した。第二部を「異貌の世界」とするゆえんである。
第三部では、「表層のドラマ」と題して、衣装や、役者の紋様や、ハンカチのデザインなど、人ではなく、モノがどういうコンテクストを形作っていくのか、その方法を考察した。近代以前に濃密にあった「表層」の意味を過剰に描いたことで、「草双紙趣味」と言われもしたが、この鏡花的モダニズムは今後一層評価されてよいと思う。ここで論じた作品でも「死者」(亡霊)と生者との霊的な接触はある。死者に執着するという様式は基本的なものだ。さまざまなしかけに富む小説世界の魅力は、死を生と切り離さない作家の姿勢によってこそ保障される。
浪漫的な作風のかげでともすれば忘れられがちだが、鏡花は貧困も、格差もしっかり見ている。そのことにも言及したつもりである。本書が、鏡花に少しでも関心のある読者に、何かそれまでとは異なる観点を提示できたら、これ以上の喜びはない。