著者: | 木寺 廉太 [著] |
ISBN-10: | 4-901988-04-2 |
ISBN-13: | 978-4-901988-03-2 |
判型: | A5判上製 |
刊行: | 2004年3月 |
定価: | 4,600円+税 |
イエスの説いた非暴力、無抵抗の平和主義は、古代キリスト教史において貫徹されたのか。教父たちの原テキストの厳密な読みを通し、この問題解明に迫った著者渾身の学問的労作。
木寺 廉太
「敵を愛しなさい」「剣を取る者は皆、剣で滅びる」と言っているイエスはいっさいの戦争を否定する平和主義者であった。 本書は、そのイエスの説いた非暴的・無抵抗の教えがキリスト教史の最初の三世紀間において守られたのか否かを、教父(キリスト教著作家)たちの記述をとおして検討したものである。当該問題に関わる教父のテキストを可能なかぎり網羅的に取り上げ、教父たちの戦争・軍隊・平和観の探求に努めたが、なかでも、私は「キリスト教徒が兵役に就くことは許されるのか」という信徒の兵役問題を最大のテーマとした。
まず、ローマ帝国の軍隊における信徒の兵士の実態を、教父たちの証言、軍人殉教者伝などをとおして検討した結果、紀元170年代以降、信徒の兵士の存在が跡づけされ、その後、その数は確実に増加したことが分かる。じっさい、教会は帝国が自分たちの神によってたてられたものであると考え、その帝国の繁栄を神に祈願するよう信徒に説いていたのも、信徒の兵士の増加の一因かもしれない。もちろん、一部の信徒が兵役に就くことを拒否したことも事実で、その場合の理由は、第一に殺人の忌避であり、第二に軍隊で行なわれていた偶像礼拝の否定であった。 信徒の兵役に強く反対している三人の教父を以下に紹介する。
ヒッポリュトスは信徒の入隊を否定しつつも、兵士が入信した場合は殺人を犯さなければ軍隊に留まりうるとしている。テルトゥリアヌスは皇帝などに宛てた護教的著作では、信徒が忠実な市民として兵役に就いている事実を伝えているが、後期の著作で、信徒の兵役に反対している。しかしその際ヒッポリュトスと同様に妥協の道を探っている。次に、オリゲネスはユダヤ人や当時のローマ人にとって戦争がやむをえないものだと考え、「正しい戦争」という概念を持ち出しつつ、他方でキリスト教徒は決して武器を取らないとして、いわば「二重の倫理」を設けている。
さて、キリスト教は四世紀になって公認されて以後、いわば「体制内の宗教」と化し、「正しい戦争」の概念が理論化されるとともに、ただ聖職者だけが兵役を免除されることとなった。 以上が本書の概要である。
ところで、宗教は本来平和を指向すべきものであるのに、宗教間の対立が多くの戦争の原因になっている昨今の状況にあって、「キリスト教と平和」の問題はますます重要な課題であり、本書もその課題を年頭において編まれたものである。