著者: | 小倉 和子 [著] |
ISBN-10: | 4-901988-01-8 |
ISBN-13: | 978-4-901988-01-8 |
判型: | 四六判上製 |
刊行: | 2003年3月 |
定価: | 2,500円+税 |
現代フランスを代表する詩人、イヴ・ボヌフォワにおける〈風景〉の詩学。長くボヌフォワに親しんできた著者ならではの透徹した読解、そして詩論。原文と対訳を織り込んで、詩の美しさを読者に届けたい。
小倉 和子
イブ・ボヌフォアという詩人をご存知だろうか?彼は戦後のフランス詩を代表する詩人で、80歳を迎えようとしている今なお精力的に詩集や絵画論を発表している。
私がボヌフォアの詩に出会ったのは大学2年の頃、所属していたサークルの夏休みの読書会でとりあげる作品を探していた時のことだった。書店の詩のコーナーでふと手にしたのは今は亡き宮川淳抄訳『ボンヌフォア詩集』(思潮社)。そこには処女詩集『ドゥ-ヴの動と不動』も収録されていたが、その最初の詩篇を読んだときに受けた、平明な言葉の重ね合わせから生まれる奇妙な緊張感は今でも忘れられない。さっそく紀伊国屋書店の洋書売場に走ると、幸運にも原書が見つかり、宮川訳が原書の詩の雰囲気を見事に留めていることを知った。そして、辞書と首っ引きで友人たちと一夏かけて読んだ次第である。
その後、大学院在学中に三年半フランスの大学に留学する機会を得たが、その間にコレ-ジュ・ド・フランスでボヌフォア自身の授業を聴講することができた。戦後の荒廃の中で、西欧の伝統的な形而上学を批判しつつ、実存主義の強い影響のもとに出発したこの詩人は、「今、ここに」刻々と変化しながら存在するものたちである「現前」について執拗に語ろうとする。それは言葉による定義をすりぬける、語りえない存在について語ることをあきらめない姿勢とも言える。語りえないものを言葉の彼方に追いやってしまうのではなく、近似値にすぎない言葉を駆使しながら語りつづけること。この姿勢は、しょせん母語にたいして近似値であらざるを得ない外国語に接することを生業とする私自身の日常を律しているといっても過言ではない。
本書では、ドゥ-ヴという謎めいた名前の女性の記憶をつねに留める「現前」が、それを取り巻くほかの存在たちとともにかたちづくるさまざまな「風景」を明らかにしようとした。これはボヌフォア流世界認識の方法論の解明である。
『ドゥ-ヴの動と不動』の発表からちょうど50周年、しかもボヌフォアが80歳を迎える本年、立教大学出版会の最初の企画として日本の読者にこの詩人の足跡を紹介することができるのは私にとってまことに嬉しいことである。