2006年2月18日(土)16:00~
講師:池上嘉彦氏(昭和女子大学教授・東京大学名誉教授)




—「サイタサイタサクラガサイタ」はそういうことだったのですね。
講演会終了後に集められた参加者アンケートに、こんな感想があった。さらりと書かれた、たった一行の言葉。けれども、その言葉の向こう側には、「ええ、そういうことだったのですよ」と答える、池上先生の暖かな返事が待っているように思えた。
その日は、良く晴れた土曜日だった。「日本語と日本語らしさ」と題された池上嘉彦氏の講演会は、170名を超える参加者で賑わった。「外からの視点・内からの視点」という副題を反映するかのように、会場には多くの留学生の姿が見られ、と同時に、参加者の幅広い年齢層も印象的であった。
講演のあいだ、教室の隅で記録用のビデオテープを回していた私は、手元のモニターで見る池上氏と演壇の上に立つ本物の氏とを、交互に確認していた。不思議なことに、手元の小さな液晶画面に映る氏は、たしかに日本を代表する言語学者<池上嘉彦>その人なのだが、視点を変えてわずかに遠く、熱心に聴講する人々の向こうに見たその姿は、冒頭に述べた、あの<池上先生>に他ならなかった。
週が明け、回収されたアンケート用紙を整理していた私はふと、ああそうだったのか、と思った。
「池上先生には、20年ほど前に直接お話を伺ったことがあり、今はまたご講演を拝聴できて有意義でした」。「10数年ぶりに池上先生のお話を直接うかがうことができたことを大変嬉しく、そして心を洗われる思いで一杯です」。
10年、そして20年。
この人たちにとって、あの日はきっと「再会」のときだった。
なつかしい先生に会いに、ちょっと池袋まで—。うららかな土曜の午後、決して狭くはないあの会場がとてもアットホームに感じられたのも、ひとつにはそんな理由があったのかもしれない。
「かつて小学校の、国語の教科書の第一課には、僕もそれで習ったのですが、『サイタサイタサクラガサイタ』という表現があったわけですね。(中略)これがなんかすごく印象的な文章だな、とずっとそのあと思っていたのですが、考えてみると、これも単なる情景描写じゃないわけですね。実際に見事に咲いた桜をみて、感嘆の気持ちを声に上げて、感心している、うっとりしている人物がいるわけです。そういう景色として読み取れる、あるいはそこまで読めるから、そうした表現が我々に対しては印象深くなるのだと思います。」
池上氏の話の向こう側に見えてくるのは、一人の少年の姿。彼は「言葉」というものに感嘆し、感心し、うっとりし続けて大人になった…。あの日、私たちが立ち会っていたのは、そんなもうひとつの「再会」だったのかもしれない。
講演が終わると、先生と直にお話をしようと、演壇の前にはたくさんの人が並んだ。緊張が解け、なごやかな雰囲気がそこにあった。
その一方で、彼らの後方、劇場の客席さながらにせり上がった会場には、未だ席を離れず、配布されたアンケート用紙を熱心に埋めていく人たちの姿があった。
—よかったです。いい勉強になりました。ありがとうございます。
ある留学生は、アンケートにそう書いた。そのシンプルな表現は、まっすぐに<池上先生>へと向けられていた。
報告:波戸岡景太
ポスターデザイン:山田邦博
*本文中に引用させて頂いたものを始めとし、当日の参加者アンケートでは、沢山の方から叱咤激励のお言葉を頂戴いたしました。この場をお借りして、スタッフ一同心から感謝申し上げます。(立教大学大学院異文化コミュニケーション研究科リサーチワークショップ運営機構スタッフ一同)