本事業では、ストレスについて生命科学的研究と心理学的基礎研究の融合研究を行う。本事業で目標とするのは、ストレスについての融合研究を核として、生き物とこころの「健やかさと多様性」について包摂的研究を行い、生物・人間理解と生活機能改善に関する新たな見解を公表することである。本学(理学部と現代心理学部)と医療機関や製薬会社、地域支援団体などの外部関係機関を中心とした外部有識者との広範な協働のもとに研究を推進し、個と社会に拓かれたリベラルアーツ教育を行う立教大学のブランドを強化する端緒としつつ、その成果を広く社会に還元することを目的とする。
グローバル化が進む現代社会では、めまぐるしく社会の在り方が変動し、その中で個の在り様が問われている。このような激動する社会情勢の中では、軋轢・摩擦・葛藤などが生じ、生物学的・社会的脆弱性を有する個体(個人)の安定的な存立が脅かされる。うつの増加に代表されるメンタルヘルス問題は、その典型例と考えられる。そして、この種のストレス下で発現するメンタルヘルス問題は、解決を要する喫緊の社会問題である。特に増加が著しいうつなどの気分障害と認知症のような精神障害の増悪には、ストレスが強く関わっていることが指摘されている。立教大学理学部では、多数の研究者が「酸化ストレス」「リボソームストレス」「低酸素ストレス」「ストレスによる炎症」といった細胞レベルのストレスを生命科学的手法で研究し、成果を蓄積している。一方現代心理学部では「うつ」「自閉症」「パーソナリティ障害」「加害者家族ストレス」「旅行によるストレス解消」などを対象として心理学的手法により研究を推進してきた。こうした両者の融合研究により生み出されるであろう、新たな介入技法やメンタルヘルスプログラムを、外部協力関係機関(医療機関・相談機関等)へ提案し、社会へ拓く「健やかさと多様性」に関する包摂的研究を行う。
本事業により期待される研究上の成果は、要約すれば、分子・細胞レベルでのメカニズムが個体の成立や機能を支え、個体(生物・人間)の機能が集積することにより総体として組織や社会の作用が相互補完されることの実証である。具体的な研究対象として、環境ストレスとメンタルヘルスを重点的に取り上げ、実証的な根拠を追究する方向性と社会的な還元をめざす方向性とを一体的に融合研究する。すなわちこの研究は、ストレスに関する生命科学的理解を実証的に深めるとともに、その介入技法の提案をするというものであり、本学が自学のブランドとして重視している「豊かな知性」と「折れない心」の育成を、科学的研究の側面から追究し補完・補強するものである。
複雑化する物的・人的環境の下では、外部環境変化そのものが生物・人間にとってストレスとなり、分子・細胞レベルでの変化や心理・行動レベルでの変化となって現れる。ただ、適度なストレスを受け、これに適応することにより心身双方に望ましい変化をもたらすことも期待できる。臨床心理学のマインドフルネスや観光心理学のメンタルヘルスツーリズムという考え方は、この肯定的な側面を拡張し、日常生活経験の豊かさ・健やかさを享受できるようにする方向性をもつ。生命科学と心理学の融合研究は,これらの問題予防や健康増進を社会的還元にまで結びつけ、そのための実証的根拠を与えようとするものである。
本研究で期待される研究成果は、次の4つである。
・モデル生物、細胞等を用いたストレスのメカニズム解析など
・ヒトの知覚や認知、態度・行動の変化をとらえる指標の同定など
・ストレスの影響を説明し得るモデル構築など
・ストレスの肯定的影響を示す生活機能改善指標の同定など
・介入技法やケアプログラムの作成など
以上の研究成果については、毎年度、研究グループメンバーによる自己点検および外部評価委員による評価・意見聴取を行う。この点検・評価により研究の達成度を確認するとともに、具体的な研究計画の改善と修正を行う。平成30年度に中間評価を、平成32年度に最終評価を受ける。研究推進の過程で、学内および外部関係機関との積極的な協同により、学術的なインクルージョンの達成状況も確認し、立教大学ブランドの強化に対する貢献についても評価を行う。
本事業では、研究成果として得られた、今日のグローバル社会において増大する様々なストレスに関する生命科学的理解、そしてその介入技法の提案を、広く社会に向けて発信することを計画しているものである。具体的な発信の対象としては、当該問題を研究する研究者、当該問題について臨床の現場で対応している医師をはじめとする専門実務家、そして本事業による提案により自らの抱える問題が解決されることを望む一般市民を想定している。
本学は、2015年度に、10年後を見据えた戦略方針・行動目標として、RIKKYO VISION 2024を策定・公表し、加速するグローバル社会の中で待ち受ける未知の課題に挑む「豊かな知性」と「折れない心」を育む人材を育成することを目標として掲げたところである。本事業は、現在のグローバル社会において直面する深刻な課題に挑戦するものであって、まさにRIKKYO VISION2024が志向する方向性に合致するものである。RIKKYO VISION 2024は、現段階では教育の側面に重点を置いたものとなっているが、本事業において設定された課題自体が「豊かな知性」と「折れない心」とは何かを科学的に追究するものであり、RIKKYO VISION 2024が目指す内容を研究の側面から補完・補強するものとなっている。その点において、本事業が本学のブランディング推進にふさわしいものであることは論を俟たない。
また、本学では、従来よりチャペルやボランティアセンターにより世界市民・現場課題・自他共生の実践の場を整え、研究・教育と実践を結びつけ融合する学びの仕掛け(サービスラーニング等)を設定してきた。本事業における基礎的実証研究(理論知)と応用的社会還元研究(実践知)の接続・融合は、こうした本学の伝統を受け継ぎ発展させるものであり、本学のブランドとして、社会・世界にその成果を広く発信・普及させたい。
本事業によってもたらされる成果については、RIKKYO VISION 2024の継続的広報の一環として、プレスリリース、新聞、雑誌への記事掲載、本学WEBサイトにおける公開など、ブランディング推進・点検委員会において重要かつ有効と認められた媒体を通じて発信し、本学のブランド力を一層高めることとしたい。
インクルーシブ・アカデミクス ―生き物とこころの『健やかさと多様性』に関する包摂的研究
Inclusive Academics: Interdisciplinary research into "health and diversity" of humans and animals
ストレスがかかると、こころにはどういう影響があるだろう?細胞や神経にも変化があるだろうか?文部科学省の平成28年度私立大学研究ブランディング事業に選定された、立教大学の「インクルーシブ・アカデミクス ―生き物とこころの『健やかさと多様性』に関する包摂的研究」。生命科学と心理学の文理融合型研究を軸に、ストレスに関する実証的な根拠を追求し、その研究成果を社会につなげていくことを目指している。
具体的には、ストレスのさまざまな側面を解析し、特にヒト(定型発達者、うつ患者、ASD児者)を対象として、ストレスがこころと体内で代謝される生体物質に与える影響を多面的に検証していく。生命科学者と心理学者がそれぞれ専門的な研究を行い、最終的にはそれらを統合する。そして、包括的な理解を深め、メンタルケアの改善などに役立てていく。
平成28年度から始まった本事業は、5年にわたる研究プロジェクトだ。年次計画を踏まえ、平成29年度からは融合研究がスタート。生命科学グループと心理学グループが連携しつつ、ストレスがかかった状態での生体の変化をとらえるための解析手法の検討(予備実験)に着手した。これにより、ストレスの影響がわかるだけでなく、ストレスを減らすための介入技法についても、新たな手がかりがつかめるはずだ。
融合研究にあたり、両グループの合同会議を定期的に行っているほか、研究成果を公開するための講演会やセミナーなども随時開催。本事業で得た知見を社会に還元するべく、歩みを進めている。
本事業は「RIKKYO VISION 2024」の実現のために設定された、「未来を拓く」というアクションプランの一つ。立教大学のブランドを強化する端緒としつつ、その成果を広く社会に還元することを目的としている。
≫理学部 後藤聡教授
この事業は、生命科学と心理学の研究を融合させることで、人を含めた「生き物」に「ストレス」がどのような影響を与えるかを解き明かし、その知見を社会に還元していくことを目的としています。
発案者である私自身はもともと、人間の疾病とストレスとの関係にずっと興味をもっていたのですが、立教大学の理学部で研究対象としているのは、魚やカエル、ショウジョウバエやヒトの細胞、大腸菌など。人間そのものを対象としている研究はありません。そこで、ストレスが人体に与える影響を、人間を丸ごと扱う学問とともに研究してみたら新たな世界が開けるのではないかと思ったのです。
それなら医学領域と組むのが自然ではないかと思われるかもしれません。しかしこれは「人体」だけでなく「こころ」に迫る研究です。私は、人のこころを扱う学問である文系学部と組み、理系学部と文系学部という一見遠い学問から同じものに迫るほうが、純粋な自然科学系の研究者同士が協力するのとはまったく異なる、新たな発見につながりやすいと考えました。
理学といえば人のこころのような曖昧なものは扱わない学問分野だと思われがちですが、実は近年、生体内の分子を計測する術が発達したことで、人のこころの分子的な基盤も少しずつわかってきています。
私たち生命科学グループが得意とするのは、人間よりもシンプルな生物をモデルとして分子レベルや細胞レベルで生体のさまざまな反応を解明していくこと。そうした研究からストレスと生物の関係が見えてくれば、その知見を心理学の研究に応用することができるでしょう。
たとえば最近、腸内環境が人のメンタルヘルスに影響を及ぼすことが明らかになりつつあります。そこで、生命科学グループにおける大腸菌研究と心理学グループの精神疾患研究を融合させることで、精神疾患の発症や悪化のメカニズムを探れないかと考えています。
また、立教大学の現代心理学部ではストレスの低減やメンタルヘルスの向上に旅行が役立つという研究も精力的になされています。では、いったい旅行に出た人の体内で何が起きているのか。生体内の反応を探る理学的な研究が、旅行が心理に与える影響の全体像を理解する助けとなることもあるでしょう。
理学部の基礎研究を土台にして、人の「精神疾患の発症・悪化メカニズム」への理解を深め、新たな「発症予防や悪化防止の方策」を現代心理学部から発信する。立教大学の理学部と現代心理学部が組んだからこそ生み出せる知見を社会に還元したいと思っています。
≫現代心理学部 大石幸二教授
本事業はプロジェクト名に「生き物とこころの『健やかさと多様性』」という言葉を掲げています。発案者である理学部の先生方が編み出したものですが、この融合研究が「生き物」と「ヒトの活動」両方の多様性に意識を向けたものであること、また、その大きな可能性を示唆するいい言葉だと受けとめています。
心理学グループの役割は、人がストレスやプレッシャー、“自分としてもうまくいっていない”という感覚を経験すると、どういう状態が生じ、健康、行動、生活にどんな影響がおよぶのか、さらには、それらを改善するためにはどんな方法でアプローチすることができるか、といったテーマに取り組むことです。
この研究に携わるのは、現代心理学部の研究者からなる心理学グループの5つのチームです。
まず、心理学の中で生命科学に最も近い基礎的・実験的分野である「知覚・認知班」。人はストレスがかかると、物や状態をどう感じ、理解し、経験するのかといった基礎的な視点に立ち、その変化を検証します。2つ目は「観光心理学班」。「社会心理学」の一領域ですが、精神的な健康に強く貢献する旅行の心理学的効果に特化した研究です。3つ目は「健康心理学班」。物の感じ取り方が変わることで生活や行動に影響が出た際の問題を解決するために、うつ症状を示す人の認知や感情に影響する情報を整理・分析し、行動変化を引き起こそうとします。4つ目は、家族という社会的な環境の中で生じるさまざまなストレス・健康問題を扱う「家族心理学班」。そして5つ目が「障がい児(者)心理学班」。生まれながらに発達障がいを持つ人の物の感じ取り方や体内での代謝、そのメカニズムを見ていきます。
これら5つの領域の研究によって、心理学全体として基本的なメカニズムの解明から社会的な応用までをカバーしています。
研究は今、基礎的な分析で得た成果を新しい心理的な支援プログラムに反映し、モデルを形成する段階に入りました。プログラムを試行し、心理学で“健康になった”と評価できる状態と体内の変化の相関関係を緻密に見ていきます。そうして確立したモデルをさまざまな現場に提供し、実践できるプラットフォームを作り、社会的な連携に結びつけることが、次の最終段階の目標です。
生命科学グループと力を合わせるこのプロジェクトは、心理学だけでは曖昧だった部分に光を当て、個々の先生たちの今後の研究にもいい刺激となるに違いありません。この成果を社会へ還元するべく、受験生や学生、地域の方々を含めた、立教大学の内外への情報発信も大切にしたいと考えています。